安永元年 創業
江戸後期の安永元年、初代柴田辨治が当時幕府天領だった川之江の地に菓子司「柴田」を創業。
讃州之領主生駒讃岐守の家臣を祖先とする初代柴田辨治は、俳句をたしなみ蕉門の俳諧に遊ぶ、風流人でもあったようです。
江戸後期の安永元年、初代柴田辨治が当時幕府天領だった川之江の地に菓子司「柴田」を創業。
讃州之領主生駒讃岐守の家臣を祖先とする初代柴田辨治は、俳句をたしなみ蕉門の俳諧に遊ぶ、風流人でもあったようです。
四国の中央に位置する川之江の地には、土佐藩の山内公が参勤交代で江戸に登る際に、お立ち寄りになられることもあり、土佐藩の陣屋もございました。
川之江に立ち寄られた際には、弊店のモナカを召し上がっていただいたと聞いております。そのご縁もあってか、弊店は土佐藩の御用菓子司を務めさせていただきました。
その時の看板は、修復され、今も弊店の店内に掲示されています。
弊店の屋号「白賁堂」は、四書五経のひとつ「易経」の中の、「白賁。无咎。」(白賁、咎め無し。)という一節にちなんだものです。
白く賁る(飾る)こと、すなわち「純白」を称えており、転じて、真っ白な心で本分(=うまい菓子づくり)に専心する、という意味が込められております。
「伊予聖人」「徳行天下第一」等と評される、儒者・近藤篤山先生(1766〜1846)につけていただいた屋号です。
明治10年に、時の内務卿大久保利通公の主催で、第一回内国勧業博覧会が開催されました。
弊店柴田は、その博覧会にて、褒状の栄誉を賜りました。
弊店は、平成24年をもって、創業から240年を数えるに至りました。
遠く江戸時代から令和の今日に至るまで、九代の当主が襷をつないで守ってきた看板と品質。
わずか数年後に迎える、節目の250年と、その先のさらなる50年、100年を見据え、私共は、これからもこの伝統を守り続けてまいる所存です。
歴史の中で受け継がれた技術を
高め、磨きをかけることで
今日に至っております。
それは弊店の四代当主のころ。当主の奥方が、ある夜、奇妙な夢を見たそうです。
「どこそこの松の木の下に、こういう物が埋めてあるから、掘り出して来るように。」
「それは、家を守ってくれる大切な物。勤勉を心がけ、一生懸命働けば、
きっとお家は安泰であろうから、大切にするように。」
奥方が夢のお告げに従い、松の木の根元を掘ると、お告げの通り、小槌が現れました。
それ以来、小槌は、家を守る宝となり、同時に、勤勉の標ともなりました。
そして『柴田のモナカ』にも、皆様の幸せを願う標として、小槌がかたどられているのです。